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ミサです(・∀・)/
歴史の続きだよー!またかよってツッコミはなしね☆あくまでも、私の苦手克服のために書いてるんですから 笑


産業革命によって、資本主義の影響は世界中におよびました。
いまや工業力も軍事力も勝る欧米が アジアに求めたのは茶・絹・陶磁器でした。
欧米の先頭に立ち、アジアに進出していたのはイギリスです。
中国(清)は、欧米との貿易をするのは広州(コワンチョウ)1港に限っていて、イギリスの綿布はなかなか思うように売れませんでした。
なので、イギリスの、中国に対する貿易というのは大幅な赤字となっていきました。

ちなみに、綿っていうものは綿花から採られるけど、絹は蚕のまゆでつくられます。

そこでイギリスは対策として、あるものをインドで生産させて、それを中国に売り込むことにしました。
それは、アヘンという麻薬です。
アヘンを密輸で売り込み、下の関係が成り立ちました。


       イギリス

   /a        \c

インド ─―────  中国
          b

a:イギリスからインドへ 綿織物
b:インドから中国へ アヘン
c:中国からイギリスへ 茶・絹・陶磁器

この関係を、三角貿易と言います。


しかし、この関係は1840年に起きた アヘン戦争によって崩されます。
アヘンの大量輸入により、国内の銀(おかね)の流出と 中毒者の増加に困った中国は、アヘンの売買・貿易の禁止を強行しました。
・・・・・いくらなんでも麻薬を大量に売られては困るもんね。

だが、アヘン戦争の勝利はイギリスがおさめました。
結果、1842年に イギリスは中国に、戦争の賠償金を払わせ、上海などの5港を無理矢理開かせ、香港を譲るという不平等な南京条約を結ばせました。

南京条約が結ばれてから、太平天国による反乱が起きました。
賠償金などのため、農民は苦しんでいたのです。
太平天国というのは、南京を都として建設された漢民族の国家です。
太平天国の反乱はおよそ13年も続きました。

また、イギリスに支配されていたインドでも、1857年にインドの大反乱(セポイの乱≪セポイ=インド人兵士≫)が起きました。
しかし、これもまたイギリスにしずめられてしまいました。



ちょっといつもより短いけどこの辺で終わろうかな。
次は日本が関わってくるということで、キリがいいと思うので!
今度はペリーさんのところ^^
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社会マスター 2010/08/11(Wed)15:56:04 編集
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